鳥取県・島根県で空手を習うなら

極真館山陰支部

山陰両県と極真空手

昭和40年代後半から昭和50年代にかけて、日本国内では極真空手と大山倍達の名が広く知れ渡ります。 当時、漫画機関紙少年マガジンに連載されていた劇画「空手バカ一代」(大山倍達と極真空手を題材にした物語)が その大きな火付け役となり、その頃はまだ都心部にしか存在していなかった極真空手の道場が全国的に拡大していきます。
連日入門希望者が後を絶たないという事態に道場は飽和状態となり、入門者には初日から組手をさせて篩にかけられ、 根性のあるものだけが残ったという話もあります。

この頃、鳥取県や島根県でも「極真空手を習いたい!」という声が多くあがり、山陰両県でも道場設立を待ち望む人たちで溢れました。
しかし極真空手道を志す山陰地方に住む入門希望有志たちは、その熱い想いが募る一方で、1986年を迎えるまで待たなくてはいけませんでした。 湖山師範が埼玉の廬山道場での修行を終え米子市へ帰り、大山倍達総裁の認可を受けて極真空手の道場を開設したのはこの年の出来事でした。

多くの人が待ちのぞんだ「極真会館鳥取島根連合支部」の設立です。

極真空手と山陰支部のあゆみ

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