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創始者 大山倍達

極真空手創始者 大山倍達

大山倍達(おおやま ますたつ)は日本の武道である空手を世界各国に大きく広めた第一人者であり、極真空手の生みの親です。
現在でこそ数多くの団体で認知され、幅広く採用されているフルコンタクトルール(寸止めではなく、直接相手に打撃を与えてダウンをもって勝敗を決するという試合規則) をいち早くに取り入れ、1960年代当時、日本の空手界に大きな衝撃を与えました。
大山倍達を主人公としてその生涯を劇画化した「空手バカ一代」は多くの人に感動を与え、令和の世代となった今日においても 極真と大山倍達の名は国内外を問わず、たくさんの道場生やOB・愛好者の方々に支持され続けています。

大山倍達総裁の略歴

1923年
7月27日、東京に生まれる。9歳から十八手の中国拳法を学び、中学2年で初段となる。
1938年
松涛館の開祖・船越義珍師の門を叩き、17歳で初段となる。
1947年
京都円山公会堂で開かれた戦後初の第1回全日本空手道選手権大会に優勝する。
1948年
生涯を空手一筋に捧げることを決意、千葉県清澄山中にて18ケ月の山篭り修行を行う。
1950年
千葉県館山で牛と対決。牛を殺すこと47頭、うち4等は即死。
1952年
日本の空手代表として、柔道の遠藤幸吉と共に渡米。全米32ケ所でデモンストレーションを行い、プロレス、ボクシングの挑戦を受け、全勝。 親指と人差し指で10円銅貨を曲げ、手刀でウイスキー瓶の首を切る技は、「神の手(ゴットハンド)」と称賛された。 またFBIの要請により空手を指導、FBIの逮捕術にとり入れられた。以来、世界各国をまわり、空手の普及に努める。
1964年
国際空手道連盟極真会館設立。
1994年
4月26日逝去。
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